大切な人が余命半年だと言われたら②~あなたはその余命を本人に伝えますか?~

「先生何て言ってた?」

この問いかけに

「大丈夫らしいで」

こんな事を言うのも
逆に嘘くさいので、

「肺とかに影があるみたいやけど、
まだ検査の結果が出てないから
ハッキリわからんらしいわー」

と、涼しげな感じで伝えた。

 

 

この日から一週間。
私はまだ何も言えないでいる。

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大切な人が余命半年だと言われたら①~あなたはその余命を本人に伝えますか?~

ADL回復手術~9月中旬~

「早くご飯が食べたい」
「お腹ペコペコやー」

この時期の叔母が、
よく口にしていた言葉。

癌に侵され身体の中の
あらゆる箇所がボロボロ。

食事をすると摩擦がおこり
大量に出血することから
現在食事を摂れない状況の中、

主治医から、残された時間、
せめて食べる楽しみを作って
あげた方がいいんじゃないか?

と、ADL回復手術の提案をされる。

私的には勿論、賛成です。

癌の事は伏せ、説明をした所、
叔母は迷いなく
「手術する」と言いました。

「ご飯食べれるようになって
リハビリもして早く治すわー」

生きていくことを、
元の生活に戻れることを
前提としたこの言葉を聞いて、

「うん、そうやな!早く治そう!」

私は・・話を合わせた。

早く叔母ちゃんの
意思を確認しなきゃ。

気が焦るものの、
時間だけが過ぎていきます。

勇敢に立ち向かう

「行ってくるわな!」

「うん!一人じゃないで!」

手術室まで勇敢に歩いて行く、
小さな背中が頼もしく見える。

その背中を見送った四時間後、

ICUに叔母はいた。

叔母の姉にあたる私の母が
麻酔で朦朧としている妹の名前を呼ぶ。

「ヨウコ・・」(仮名)

叔母は

「お姉ちゃん・・」

と呟いてまた眠ってしまった。

絶対泣かない

手術で取り出された部分は
指で触るとボロッと崩れる、
まるで豆腐の様な状態。

「こんなに病気で侵されてたんや」

わかってはいたけれど、
改めて病気を実感させられる。

再び主治医からこの手術について、
又、今後の事について説明を受けます。

今回の手術で食事はとれるように
なるが、決して病状が
回復することはないということ。

そして、これからどうしていくか?
延命をするのか?しないのか?

話しは次々と進み、

ターミナルケアについて
説明が始まったその時、

母はまだ状況が
呑み込めていないのか、

「どうにかして助かる道はないのか?」

と言う様な内容を質問しだした。

けれど、
何を聞いても答えは同じ。

「正直・・この段階では厳しい・・です」

主治医も言いにくそうに
言葉を濁しながら答える。

私の口から叔母の病状を聞いた時は、
まだ信じたくない気持ちが
あったのかもしれない。

しかし、改めて主治医の口から
現実を突きつけられた母は、
顔つきが変わり、それと同時に
ガクッと肩を落としていた。

私の母は現在、
同じく癌で闘病中。

この日、入院先から外泊許可をとり
妹がいる病院に来ていました。

自分の病気の事でさえ、今まで
一切弱音を吐かなかった母が。

もし自分が余命を宣告されたら
「絶対に延命治療はせんといて」
と言う母が、

妹の病気が治る可能性を
必死に探していた。

涙をポロポロ流しながら

「どうにかなりませんか・・?」

何度も何度も。
奇跡を願うかの様に。

その気持ちは内心私も同じ。

「何か方法はないのか?」
「延命治療をして欲しい」

母の気持ちは
痛いほど伝わってくる。

私でさえこんなにショックなのに、
どれほどの気持ちなのか?

わかっているけど、私は母に

「母さんの気持ちはわかる。
けど、それを決めるのは叔母ちゃんや」

と言ってしまった。

冷たかったかもしれない。
追い打ちをかけて
しまったかもしれない。

自分の娘が涙も流さず、
こう言い放ったこと。

母が更にショックを
受けた様な一瞬の表情。

その表情を見て、私の言葉が
母を深く傷つけたんだと感じた。

この言葉を境に、この場で母は・・
何も喋らなくなってしまいました。

傷つけたい訳じゃないのに。

母さん、ごめんな・・・。

この時私の気持ちは、心も身体も
ボロボロな母親を目にして、

“自分がしっかりしなきゃ!”

と思っていた。

心に強く誓う。

私が泣くわけにはいかない。

『絶対に泣かない!』

 

 

「叔母の意思を、
それとなく聞いてみます」

 

 

主治医にそう告げて、
母と弟と私、
トボトボと病院を後にしたあの日。

 

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